思ひ出も柳絮ながるる空の果て

ふと見ると太陽電池の置時計の表示が消えていました。

この時計は、20年位前に今頃になると毎年小屋に来て下さっていた10人ほどのグループの方から頂いたもので、叙勲記念をして配られたものらしく、台座に金の菊の御紋が付いています。

このグループはバレーボール部の仲間ということで、第一回東京オリンピック時の補充要員だったという人がリーダー格で先輩や後輩もおられ、昔の体育会系のよい面を残している気持ちの良い人たちでした。

その中に、鎌倉彫りの職人さんがおられ、次の年には娘といつも遊びに来ていた明神館の景ちゃんに、名入りの立派な手鏡をプレゼントして下さいました。その頃のスタッフは、他は全部男の子でした。

ある年、2人がかりで重そうに提げてきてくださったのは

厚い板に“岩魚の塩焼き“と彫られた大きな看板でした。あの頃のこの季節はお客さまが少なかったのを心配して下さったようで濃い水色の地に椿の花と葉を散らしたよく目立つ看板でした。

60代から70代のメンバーの誰か一人でも来れなくなったらこの会はお終いにするのだと言っておられた通り、5〜6年続いた後、来訪はプッツリと途絶えてしまい、その後2〜3年経って岩魚の塩焼きの看板もしまい込みました。

いつも正確な時を表示していた電波時計のポツカリ空いた液晶パネルを見ていると何事にも終りがあるのだと語りかけられている気がしました。

それでもこのパネルは東京下町言葉の、あの楽しいグループの人たちとの交流の思い出を、最後にまざまざと浮かび上がらせてくれたのでした。

上條 久枝